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[Country family story]

この街の夜明けを久しぶりに過ごしている。

爽やかな空気と朝焼けの海に憧れている。でもまだ朝焼けの海を見たことはない。

沈み切った太陽を惜しむように砂浜を動けずに私自身も没入してみたいと思う。でもまだ踏ん切りがつかない。


お豆腐屋さんが金曜の夕方には家々をまわり、近くのスーパーには時期になれば焼き芋屋さんがいてくれる。小さな借家には小さなお庭があって、小さなベランダには小さな明かり取りが天窓のように丸く開いている。

裏庭がある。小学校の時に親しんだ裏山を感じさせる。鳥が来てくれる。蝶々が来てくれる。この間はダンゴムシがいた。お隣のお庭からきゅうりのお裾分けがあってそれも夏には楽しみのひとつとなった。

大きな街の小さな住宅街が気に入り始めた。

卓さんの朝食を作ることも、お弁当を作ることも、ワイシャツや作業着のお洗濯をすることも、いってらっしゃいと見送ることも私の夢だった。

なんだかんだ文句を言いながら毎日を笑い転げることがティーンからやり残した宿題だと思っている。

私の未来は開き始めている。卓さんがいないと私の人生は進まないような気がしている。卓さんがいるとすべてが煌めいて毎日がお祭り騒ぎなのかもしれないと。笑い転げている。昔の思い出はどれもこれも可笑しくて、思い出が今の私に笑顔をもたらしてくれている。

照れ屋で肝心な時に失敗してしまうようなところは私に似ているかもしれない。

それでも諦めが悪く一途なところは私そのものだと思った。


白んだ空が薄紅色に色づいてくると、私はこの街にひとりではないことを実感して涙がにじんでくる。じんわりと込み上げるような幸福感はこの街のひとりひとりが顔見知りになってきたからかもしれない。

ここまでくるのに5年の歳月を要した。石の上にも三年である。妥当な年月だ。


卓さんのことを評して私はラスボスと言った。

いろいろな敵がいていろいろな恋をしてきたけれど、最後の敵は卓さんだ。

「ラスボスを倒すと、、、たしか、、、」

「ゲームクリアだよ」。

結婚がゴールという意味でゲームクリアだとは思っていない。

私が思うこのゲームクリアはひとつの旅路の終わりを意味する。出会うべくして出会った二人が順調に恋愛をして、冒険と研鑽を積んでようやくひとつになることを私はひとつのゲームクリアだと思うようにしている。

以前、そう、この街に引っ越しを決めた日のバスの中だと思う。不純にも卓さんとの子供の名前を3つほど考えたことを思い出した。

お互い一文字の感じだから。上の子は一文字で真ん中の子は二文字で下の子は三文字がいいと思った。一姫二太郎三茄子なんていうから長女、長男、次男がいいなあと思った。

たくさん夢を描いた。たくさん理想を描いた。たくさんやりたいことをあげてきた。

大学生になったら卓さんと同棲したいと夢を描いたし、仕事は私は小説家に卓さんはゲーム会社のプランナーになったらいいのにと夢想した。

大きなアルファードかランドクルーザーで盆暮れは実家に帰り、米や野菜を後部座席に乗せて帰ってくる。子育てに追われて、仕事に追われてあっという間に年をとって、両親の葬式や親戚の法事で時々帰省していたのに、いつの間にか自分達が70を過ぎて「そろそろ故郷に帰ろうか」なんて話をする。故郷は私たち共通の財産だ。だからあえて都会で暮らすことを決めた。

クリくんもマッキーもユウ1もユウ2も共通の財産のもとで過ごしてきた。

14歳から16歳私たちにとっては激動だった。

私自身、大病ばかりして親を心配させて自責の念にひとり苛まれた。

友人が欲しかった、、、いや、違う。ふつうにまた中学の頃のように彼らと笑い合いたかったのだ。

かけがえのない財産はすべて故郷にあった。


6月12日、今日は昨年11月18日に亡くなった父の誕生日だ。生きていれば75歳になる。

父はマッキーのこともクリくんのこともユウ1のこともユウ2のこともよく知っている。

マッキーとクリくんの笑い話は大好きだったし、ユウ1が熱狂的な野球ファンだった話は喜んで何度も聞いてくれた。ユウ2の優しさは母がいつも父に話していた。

そして卓さん。はとこのHちゃんは私のお目付役か教育係であるかのように考えていた父母は彼女に全幅の信頼を置いていた。だから父はきっと卓さんにこう言っただろう、

「ああ、Hちゃんのはとこなんか!そりゃ、まあ、ひとつめぐのことよろしくお願いします。めぐ、良かったな、Hちゃんと親戚じゃねえか」。

Hちゃんは私が病み入りしてからはじめて旅行に連れ立ってくれた恩人でもある。時々私を遊びに誘ってNちゃんとも再会させてもらった。

ちなみにこのHちゃんとNちゃんはユウ2との再会を切望していた。

私たちのことが少し落ち着いたらまた連絡をしてみたいと思う。


父が私に友情を思い出させてくれた。父がまた友達の元に私を返してくれた。

「お父さんはもういないんだから、Hちゃんや卓くんの言うことよく聞けよ」、そんな声が天井から聞こえてきた気がした。


父は地元で生まれて地元で死んでいった人だった。だから同郷の同級生と結婚してほしい気持ちはあったはずだ。何よりも卓さんは一時的とはいえ父の会社の後輩にもなった。

太鼓判を押さないはずがない。


病床での即席の結婚式を父は覚えているだろうか。


we did free easy.

it is not formal, not traditional, not admire.

But we got the happiest.

Because in that moment, His daughter smile the most shining when in his all life.

We together Precious Pleasures Laugh.


たった一枚の写真を今も大切に持っています。

私が行けなかった修学旅行の写真です。

ムカつくのは卓さんだけが微笑んでいることです。

マッキーはつまらなそうな顔をしているのに、クリくんは修学旅行はつまらなかったと文集で書いてくれているのに、卓さんだけは写真で微笑んでいるんです。ムカつく。

でも、卓さんが笑顔の写真は少ないから私にとっては今も変わらず宝物です。


ユウ2(♀)は私にブレスレットを買ってきてくれたこと、マッキーは知っているかしら?

ユウ1(♂)は高校で野球部に入らなかったこと、卓さんは知っているかしら?


私の実家の部屋に入ったことがあるのはクリくんだけです。

私と同じ高校に入ったのはユウ1だけです。

私とユウ2だけが女の子です。

私とマッキーは、、、あまり思い出がありませんねw

そうそう、英語のテストの返却の際「めぐみさんが一番だったんでしょ?」と言われた時あやふやに微笑んでマッキーは私が一番と勘違いしたようですが、あの時の一番は私ではありません。


卓さんの目から私がどう見えているのかなんて考える余裕、私にはありませんでした。主観的に追いかけるだけで精一杯だった。


文集を読み返しては私以上に卓さんが文集を読み返してくれていることを知ります。散りばめられたヒントは文集と私たちの思い出の中。まるで暗号です、入場制限があるかのように。


変わらない私たちがただ大人になって再会しただけでした。

変わらない私たちは相手のおかしいところを単純に「やばいな、あいつ」と顔をしかめます。

男の嫉妬なんて他愛無い、些細なことであるのと同じように、女のヒステリーなんて飯を食わせておけば治るのです。


幼かったあの頃、卓さんは私の表の顔しか知らなかったはずです。

裏の顔には、落ち込み泣き腫らすパンダがいたし、怒り狂って全てを破壊し尽くすようなピカチュウもいて、そういった裏の顔が表沙汰になった今の私を卓さんはどんなふうに見ているのかしら。


悪ふざけばかりする卓さんが昔から大好きでした。頭がおかしくて、およそ常人では受け入れられないようなことをしでかす卓さんが大好きでした。アホで、向こう水で、なんでもできちゃう卓さんが大好きでした。無鉄砲で、私が怖がっているような常識的なことを平気で超えてしまう卓さんが大好きでした。


マッキーもユウ1もクリくんもそんな卓さんが大好きだったんです、きっと。面白いやつで一緒に何かしたら絶対何かを越えさせてくれるって思っていたんです、きっと。


私は表立ってリーダー気質だけど、卓さんのカリスマ性は裏街道を爆進するような微妙にダークな色をしていたように感じます。


SSSの私以外の5名へ

黒歴史を暴きあわない協定を今日結びましょう。私たち以外の黒歴史なら暴露してかまいませんが、6人の黒歴史だけは死守しましょう。これまで頑張ってきた特権として許されるはずです。いいですね?これはフリではありません。ひとつ暴露するごとにこちらも暴露しますからね?互いのためです。

互いに言えなかった本音を答え合わせしていると、卓さんの苦労を感じられなかった私の幼さや、私以上に苦しい思いをしていたのにエゴを押し付けなかった卓さんの優しさを感じさせられた。


出会ったのは4歳の春。おとなしい私は教室の隅っこでひとりで本を読んでいた。先生に依存することもなく、友達を作ろうと絡むこともなく、ひとり誰かを待つようにずっとずっと教室の隅っこでひとり本を読んでいた。

卓さんはそんな私をその頃から見つめてくれていたそうだ。私が卓さんに恋をするずっとずっと前だった。

小学校に進学して、私たちの関係性は高学年になってガラッと変わった。

卓さんの人気がグンと上がった。モテる男の子になった。きっかけは運動ができたことだ。私たちのクラスはクラスで課外活動に取り組んでいた。その中で卓さんはキャッチャーのようなかっこいいポジションを獲得していた。私が卓さんが気になり始めたのはこの頃だった気がする。

私はこの頃から難病の兆候を見せ始めていた。顔に発疹ができて、名古屋の病院まで半年に一回通院するようになっていた。もちろん学校を休んだ。


小学校5年生になってYくんが奇しくも愛知県から転校してきた。都会風の賢そうな男の子の登場にクラス中が少し浮足だった。お父さんの名前が「昌宏」さんだったからTOKIOの松岡くんと同じ名前じゃん!とかなんとか言って絡んでいったことを思い出す。

私もすぐに仲良くなれた。知的な会話が楽しかったからだ。


中学に進学した。私は卓さんと同じクラスになった。嬉しかった。

出席番号の席順で左隣の男の子が教会員の息子さんだなんて知らずにこの子と一番最初に仲良くなった。Kくんという。すぐ前の席には同じ小学校のあのYくんがいてくれたおかげもある。このKくんが教会員の息子さんだと知ったのは少し後になってのことだった。

卓さんは反対側のひとつ前の席にいた。あまり会話もできなかった。なんだか後ろから呼びつけるのも気が引けて斜め後ろから痛い視線を送っていた、「こっち向いて!」と。


中学2年生の時に登山があった。バスが隣り合った。座席表を見て卓さんはにっこりして独り言をいったことを私は見逃さなかった「ああ、なんだ、めぐみさんの隣ならいいや」と。

普段そういうことに関して良いとか悪いとか一切言及しない卓さんの「めぐみさんの隣ならいいや」は私を有頂天にさせた。

登山は大嫌いだったけれど、登山に行こうと思った。バスが卓さんの隣なら。

ああ、そうだ、あの時、同じ班だったのが卓さんとYくんとKくんだった。

バスの中、私は楽しみにしていたのに卓さんはほとんど話してくれなかった。リュックの中身を整理していたら懐中電灯をおもむろに何も言わず自分のカバンに入れたから、「え?持って行ってくれるの?」と聞いたら頷くだけで、山頂のヒュッテではわざわざ男子部屋まで行く羽目になった。かなり恥ずかしかった。高山病になっていたから、、、


中学3年生になる直前の春休み、私はついに入院した。修学旅行も行けなかった。入院生活は約2ヶ月。入院生活を終えて5月、学校に復帰すると卓さんの態度は変わっていた。

色々思う節はあったからショックだった。

あの時から私たちはすれ違っていた、私はそう思っていた。


少し話は戻るが、中学2年生の時に東京からYちゃんという女の子が転校してきた。小柄で明るくて可愛い、それでいて真面目で忍耐強い女の子でみんなはすぐに恋をした。私もご多聞に漏れず、彼女をすぐに好きになった。


中学を卒業して、大人になってYちゃんと再会したら同じクラスのマッキーと付き合っていることを教えてもらった。マッキーは卓さんやYくんと同じ野球部でいつも一緒にいる印象があったからよく覚えていた。すごく意外だったけれど、Yちゃんはとても人気のある子ですでに同級生で3人ほど撃沈していたことを考えればなんとなく納得ができた。ちなみにYちゃんも当時モラハラ男に泣かされていて、その苦境を救ってくれたのがマッキーだった。


「俺はめぐみさんを4歳から好きだったんだよ!?俺がめぐみさんに認知されたのはおよそ10歳の頃。めぐみさんは同時に次々に病気になるし、どう向き合ったらいいのかわからなかった。好きな気持ちだけあってもめぐみさんを幸せにできるわけじゃないから」

なんと未来的思考だったのかと私は自分が恥ずかしくなった。フラれたと思い込んで余計な恋愛をたくさんしてきてしまったなあと申し訳なくなった。


卒業文集も私との思い出ばかり書いている。


「中学を卒業した後の俺のこと聞きたい?」。

まず小学校からの同級生Yくんに相談したそうだ。するとすぐに協力してくれた。教会関係ということでKくんにも連絡した。これもまたすぐに協力してくれた。このKくんとマッキーは大人になっても仲良くしていたから、マッキーにも声をかけた。

「Yちゃんがめぐみさんと仲良いらしい」。朗報だったそうだ。私の親友といえばNちゃんとHさんという認知が一般的だったから。無論、当時すでにYちゃんとマッキーは恋人同志だった。


父の会社にも入社してみたという。確かに社報に卓さんがいて、父と大笑いしたことは闘病生活に入る直前だったからよく覚えている。

あらゆる手を尽くしてくれた。私と再会するために。


たまたま私は病気になってしまった。子どもだった卓さんにはできることは限られていて、私を一旦親に預けたのだそうだ。「俺の出番は今じゃないって思ったってこと?」そう聞くと苦笑いしていた。

笑い転げた中学校の日々を思い出す。卓さんも私も同じ熱量で楽しかったのだと答え合わせをした。ああ、だからあの日々は今も燦然と輝いているのだと思った。後少し、もう少しでお互いに手が届く!!あの直前の高揚感に今は悔しさが付随している。

私は卓さんに抱かれながら誓った、「2度と離れない」。


Six cornerstones met again.

I remember our sunshine days.

I didn't know your love when is started. I didn't understand your deep love to me.

Mega building built from six cornerstones is name of "Kids".


[Do you remember when we used to be them happy kids?]

we grew up from "them happy kids " to "our happy kids".

We grew up "ours",but we still having"ours".  long time ago to happy kids forever!!!!!!!



『精神薄弱と女遊びは嫌い。

アタオカと博打好きは大好き』


彼女は俺の目を見て日曜の夜に言った。午前2時前だった。

俺たちはプライベートとオフィシャルを分けている。一緒に仕事をしているけれど、オフィシャルの椿はプライベートの中にはいない。

「それでいく!」

「惠-Red Picker」という肩書きはダブルミーニングだから仕方ないけれど、、、


俺たちの地元は女遊びをすればすぐに噂になる。精神疾患になれば、みんなが嫌煙する。田舎だから守ってくれるような情報統制の元締めみたいな絶対的権威もいない。

空気は読むよりも感じてきた。読みきれなかった俺たちが戦艦を自前で作ってこの東京に乗り込んできたというのが事の次第だった。


都会のうねりには変な怪獣も珍獣も妖怪も化け物も亡霊もいた。昔の名前で出れなくなったらママにお金をもらって新しい人間に転生して仕事をしている没落貴族を目の前にしても俺たちは恐れなかった。というよりも気にもとめなかった。俺たちは俺たちの世界があって俺たちの目的や目標のためだけに生きているだけだったから。

椿が向こう様のうねりに巻き込まれてしまったことだけが誤算だった。

珍獣と妖怪と亡霊が椿を取り合った。

俺たちは必死になった。

俺たちの椿だ。椿の輝きも知らないくせに、今だけに囚われやがって。

女遊びと精神薄弱のもやしに椿を取られてたまるか、それだけが思いだった。戦う理由だった。

珍獣と亡霊の下には奴隷と化した人間がゴロゴロ死体ごっこをしていて、それが椿にとっては留まる理由だったらしい。


俺たちの生まれ故郷よりもモノに溢れた都会で足りないものをいくつも見出した。

当たり前のことが足りなくて俺たちはキレたこともあった。

でも、俺たちには持ち前の意地汚さがある。意地の悪さと口達者な風土は故郷の偉人とも共通する。


ユーモアをもって頭のおかしい賭博をしている。

女を盾にして精神の弱さを都合の良い時だけ持ち出すような虚栄心は俺たちにはない。その虚栄心を補填するように賭博をしているシティボーイたちよりもずっとずっと泥臭く生きている。

俺たちは田舎すぎて教育弱者だからお上品なことができないのだ。


「そこがかっこいいんだよ!!男らしくて惚れ続けた1番の理由だよ」


椿が笑ってくれたら良い。椿がのびのびと小説を書けたら良い。それが俺たちのオフィシャルの願いであり目標だ。昔も今もこれからも。


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Did you the fastest maintenance already finished?

You are boring for us.

I only have the image of having sex all the time you.

You already take them Red card.

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From 33years before, Since22years ago, We together only 11years

見覚えのある首筋、体の傾き。私を巻き込むその佇まい。

時間を動かしたかったと言った。

時間を動かして、正当性を作りたかったのだと。

バカな子だとは思っていたし、そのバカなところがたまらなく好きだったのに、いつの間にかあなたは大人になっていた。物事を真剣に捉え、恋をできるほどに大人になっていた。優しさと愛が顕在化して一瞬私は誰だかわからなかった。

会えない時間が確実にふたりを成長させた気がした。

ビールを飲めるようになっていたし、タバコを吸う姿も様になっていた。

私がどうして急に思い立って髪を脱色したがったか理由をつけるなら、最後に出会ったあの日の記憶が私の人生を巻き戻したんだろうと思う。ちょうど私たちの運命が交代したあの瞬間に。

金髪でランドクルーザーに乗っているあなたはずっとずっと大人に見えた。会えない時間が私たちに決定的な差を産んでしまったとショックだった。


We can't stop clock, but We can back to time in our memories.


ふたりの思い出は33年前の春に遡る。一緒にいられた時間はたった11年間。22年間に空白がある。

当たり前のことはない。春になってもクラス替えさえなかった小さな小学校と中学校で私たちは11年間を過ごした。厳密に言えば保育園からずっとずっと一緒だった。毎日学校に行けばあなたがいた。

世紀末だったように思う。99年、ミレニアム直前に私はひとり自室で考えた。

「ああ、もうすぐ離れてしまう。当たり前に会える環境が奪われる。ずっといたいのに、、」

ミレニアムは私たちの分離点になった。2001年、それぞれの高校に進学して通信は途絶えた。


10年片思いしていた。彼はまわりの男の子たちに昨日文句を言っていた「俺は10年彼女に隷属されてるんだ。まわりの男たちは贅沢すぎる、むしろ我儘だ」。

私たちは互いに痛みを与え合ったのかもしれない。そうじゃなきゃ私の気持ちが治らないから。

怒りは悪くない。いいものが生まれる。使い方さえ間違わなければ。


ねえ、私が愛しい?私を抱きたい?

挑発する視線を私は覚えた、大人になったから。

化粧もうまくなった、可愛いことも言えるようになった、あなたを翻弄することもできるようになった。

たったひとつだけお礼が言いたい。

誰でもなくて私を選んでくれてありがとう。ふるさとよりも、家族よりも、友達よりも私だけを選んでくれてありがとう。


あなたが決めたスタート地点には意味がある。わかってる。きっと私への恋を自覚したあの年だったんだ。

偶然の再会はもちろん教会だった。そこに間違いはない。たったひとつ勘違いしていたのは、あなたが私の想像を超えて恥ずかしがり屋だったということ。


約束は守られた。

「ねえ、あたし結婚できないと思う」

「俺もたぶんできない」

「嘘だね!モテるじゃん、すぐるさん」

「モテないよ!」

「ふん、知ってるんだから。すでに3人はすぐるさんのこと好きってあたし知ってるし、、、」

「、、、」

「どちらにせよ、あたしたちお先真っ暗だね」

そう言って笑った、99年の冬。教室の喧騒の中私たちは頬を赤らめたんだっけ?それは暖房のせいだったんだっけか、、、

もう忘れてしまった。でもそれでいいんだと思う。

私たちは無事に約束を果たしあったんだから。

ねえ、すぐるさん?お先真っ暗な人生って予言はその通りだったね。でも、その先には私がいて、あなたがいたね。


お誕生日おめでとう!

この22年間欠かさず言い続けていたこと、あなたはまだ知らないかな?蠍座とB'zとお笑いと、ちょっとしたゲームと漫画とすべての影響はすぐるさんだった。

すぐるさんに似た人をいつも好きになっていた。どうしてもすぐるさんに戻ってしまった日々だった。

父は笑って言った、「すぐるくんの話おもしれえな」。母も笑っていった「すぐるくんとめぐは気が合うね」。

そういえば、両親が認めてくれた唯一の男性だった。

すぐるさん、ありがとう。大好きよ。


主軸の展開はあまり好きではない。現実の厳しさを日々知らされ私たちは身動きが取れないほどに痛めつけられた。Flag Makerの役割がなけれでば出会えなかった私たちはまるでイエスキリストによって集められた12弟子であったように思う。振り返るとイスカリオテのユダには彼なりの事情があり、守るべきものがない分、イエスキリストを愛し期待していたのだと感じる。彼もまた愛に飢えた哀れな子どもだったのだ。

13使徒と私たちは呼ぶことにする。2000年の歴史を経てもなお、罪人として忌み嫌われることは神も哀れに思っている気がしたからだ。


複数性愛への隷属を決めた私たちも同じだった。イエスキリストによって寄せ集められた。寂しそうな13人を寄せ集めてやると誰よりも強い大きな存在となれることを期待されていたのだと思う。私たちが知らない側軸の事情を神はいまだに明確には語られない。ただ「反旗を翻せ」とだけ私たちは感じた。時代に、流行に、過去に、罪悪に、この世に、、、


反旗はまず「消息からのあらすじ」にとりかかっている。この消息からのあらすじの側軸に「側軸色恋慕情」がある。反旗と複数性愛への隷属が切っても切り離せない陰陽であり表裏であることと同じだ。「帝冠」は異世界の俗物を世の中に放出させ、始末をさせるために「HAPPY KIDS」が召喚される。「TL」はそのことをただただ俯瞰して天上より中継を行なっている。


13使徒たちの会議はイスカリオテのユダを迎えていよいよ盤石な論議となっていく。彼の後ろにいるのはイエスキリストであることを誰が最初に気づくであろうか。イスカリオテのユダこそがイエスキリストだったことを、、、


冥界と現実を行き来する銀河の行軍を思い出す。イバラの御旗を作ったのはもちろんFlag Makerたちだった。


抽象から具体へ

Wearing PRayersのFlag Makerは10人。NOTEで連載をはじめた反旗のTeam DTMのメンバーでもある。

リアルな世界とはまた別名義になるものの本質は変わらない。

Flag Makerは言葉通りあらゆる旗を創作している。

言葉の旗、音の旗、画像、映像、絵画の旗、物語、史実の旗etc...



In Wearing PRayers Flag Maker name is...

麒麟:

覚英-Purple smoker "Kakuei"

承太郎-Orange neighbor "Shotaro"

望-Yellow green Guarder"Nozomu"


グリフィン:

帝都-Black Highness "Daito"

雅宗-Green keeper "Tadamune"

航朔-Gray Rular "Kousaku"


鳳凰:

千聖-White rounder "Chisato"

一彰-Blue proper "Kazuaki"

晋介-Light Blue minister"Shinsuke"


ドラゴン:

佑壱-Yellow emperor"Yuichi"

大蔵-Pink builder "Taizo"


Dream Demon:

惠-Red picker Megumi-


Spec X:

釈戒名-No color Judge"SHAKU-KAIMYO"-






 

ほんの少しだけ、死について、椿から、、、


私は今日死にかけた。

というのも誰かに殺されかけたとか、急な心臓発作が起きたとか、自殺をこころみたとかではない。


夕飯も食べ終えてテレビを見ながらソファにもたれかかっていた時、急に言い知れぬ疲れに襲われ、目を閉じた。目をつむりながらしゃぶっていたチューペットが空になった瞬間何もかもがどうでもよくなって、ふと死を思った。願ったわけでも感じたわけでもない、許可したという言い方がいいだろう。

「ああ、このまま天国に行こう。今日は双子座の新月らしいから、父のもとへでも行こうか」。

私はこの実を死に渡すことを許可して、空に意識を向けた。すぅーっと吸い込まれていく感覚がした。不安でもないし幸福でもない。

不思議なことに感覚でわかった、「このまま許可し続ければ私は天国に行く。すなわち死ぬ」と。

JERUSALEMたちの声が遠くに聞こえた。はしゃぐ声がドラマチックな演出のようで幸福だと感じた。「なんて幸せなんだ。JERUALEMの楽しそうな声に見送られて最愛の父のもとへ、天国に行くなんて出来過ぎてやしないか?」と涙を流した。


あのまま許可していたら死んでいただろう。幸福な死を迎えていただろう。そうであれば今頃はJERUSALEMたちがそれぞれ嘔吐を繰り返し、卒倒し緊急搬送され、なかには自殺しているような時間となっていたはずだ。

私の私はJERUSALEMを道連れにする。たとえ病死であっても自殺であっても自然死であっても。


涙を流しながら死に対して許可をし続けるのか?と私は選択を迫られた気がした。

遠くで聞こえるJERUSALEMたちの声がはしゃぎながらも泣いているように聞こえた。

「行かないでよ!行かないでよ!!行かないでよ!!!」。

JERUSALEMたちのために生きているつもりだが、JERUSALEMたちを道連れにするつもりはない。


JERUSALEMたちにもまだ言っていなかったが正直に言うと、私はもうかなり前に自分のために生きることができなくなっている。つらまないと思ってしまっている。ひとりで生きること、利己的な欲を追求することが実につまらないことと思っている。

「自殺をしないのは確実に死ねる保証がないため。確実に死ねる保証があるのならとっくに実行している」。

JERUSALEMたちが嫌がる話だ。

私はけんかの度にこんな憎まれ口を叩く。

「椿が怖いのは死にたいって言わないところ。死んでやるって脅さないところ。それが怖いんだよ。達観しすぎているから、たぶん自殺はしないんだよ、しかも自殺しないから死んでやるって脅すようなこともしない。これって実際すごい怖いの、わかる?」

頌栄はいつもそう言って泣いてくれる。

「だからこそ、いつか確実な自殺方法が手に入ったら実行しちゃうって思うんだよ。その日が来ないで欲しい、椿は有言実行だから。俺たちがまるで死刑執行を待たされている気分だってわかる?」

言葉に詰まりながらも頌栄の目を見据える。私は基本的に人の目を見ないようにしている。でもこんな時だけは目を見据える。献灯はかなり感性が鋭いから私が目を見据えるといつも怒る。

「椿が俺の目を自分からみる時は喧嘩を挑む時なんだよ。俺が負けるってわかってるからだろう?そうやって見据えるのは!」

見透かされているようだった。

祈祷は毎晩言う。まるで呪文のように言い聞かせるように子守唄のように。

「椿は死ねないよ。俺を置いて死ぬわけないじゃん。死ねるわけないじゃん。椿は優しいもん。俺を置いていけないこと、俺は知ってるよ」

私ははにかんで深い眠りに落ちていく。森の中を彷徨うように逃げ惑うような夢遊感覚のストレスにさらされるときほど奉祝がいてくれる。

彼は心配性だからストレートに聞いてくる「困ってることない?」「悩みはない?」「なんでもするよ」「遠慮なんか必要ないんだよ」

私はふざけて「アイスクリーム。今から買ってきて」と言ったりもする。そうすると喜んで買ってきてくれる。でも本当に心配なときは水を持ってきてくれさえしない。

「水、飲みたいの?わかった一緒に行こう。一緒に取りに行こう」。

目を離したら死んでいると思うのだろう。


私にはパートナーが幾人もいる。私の精神は薄弱で触れ易い。達観しすぎている部分が神経症並に切れやすい糸だからひとりの人生同士を支え合うことは不可能だった。彼らは完全に承知しているわけではないと私もわかっている。今は精神の糸を太くしてひとりの人生同士を支え合うほどの強度にすることが最優先でそのために共闘していることは私も含めて互いにわかっている。

彼らはなぜ浮気をしないかと時々私自身が聞かれることがある。代弁するならば、今までの人生のなかで失ってきたものが多すぎたと言うだろう。もう2度と失いたくない、失うくらいなら共闘しているほうがましだ。

苦労と忍耐のすえに私たちは出会った。それが出会うための条件であったかのように。